ちょうど一年くらい前の話です。
外交的で活発な兄とは正反対の内向的でおとなしいコでした。
友達もうまく作れなかったようですがやさしいコでした。
何度も仕事を辞めては再就職し、、の繰り返しで、
30歳目前にしたある日、
やっと再就職した先で突然行方不明になりました。
しばらくして、家族に
「北海道へ行ってくるから」
と連絡をよこしてきたきり一ヶ月くらいが過ぎました。
今までもそういうことは何度かあったので家族もそっとしておいたようでした。
叔母は周囲にとても気を遣うやさしい人で
いつも皆に笑顔をふりまいて「ありがとう」「ありがとう」と言う人でした。
私が離婚してからもよく私や息子にまでかわいいカードや手紙を送ってきて
「すごいね。すごいね。頑張ってるね」
って励ましてくれる人でした。
そんなやさしい母親である叔母のことを最後まで気にしていたのでしょう。
車の助手席に、叔母の大好きな夕張メロンのゼリーのおみやげ袋を載せたまま
従弟は車の中で死んでいるのを発見されました。
雪深い山奥の寂しい場所でした。
車の中で死んでいたのに服はびしょ濡れになっていたそうです。
寂しかっただろうに。
冷たかっただろうに。
どうして・・・
「どうして一人で逝ってしまったの」
「どうして話してくれなかったの」
「どうして会いに来てくれなかったの」
「どうして」
それだけ言うので皆精一杯でした。
脱力感と悲しみがどっぷりと渦巻いていました。
叔母の姿は見れませんでした。
でも
お葬式のときも声を張り上げて泣いていたのに
後でみんなで食事をしているときに
「来てくれてありがとう」
「ありがとう」
って
泣き笑いしながら皆のところをまわっていました。
悲しみってすごい。
何がすごいかって、
怒れないんですよ。
怒るパワーも何も奪ってしまう。
気力も何も奪ってしまう。
私は前のブログで、ずっと前に、
列車に飛び込み自殺する人は迷惑!
って怒り気味の記事を書いたことがあったんですけど
自殺を擁護する気持ちはないんですけど、
でも、
今少し、配慮が足りなかったな、って思っています。
怒れることって、少しだけ無責任なんだな、、って。今ちょっと思うから。
怒れないくらい悲しい気持ちがあるって考えてなかった。
お葬式が済んでから叔母はずっと
ご飯が食べれなくて眠ることもできなくなったんだけど
あるとき静かに笑って言ったんです。
「あのコは死んでよかった。
生きていたら苦しむコだったんだろう。
これでよかったんだろうと思う・・・・・・・・・」
言い聞かせるみたいに言った叔母に誰も何も言えなかった。
死んでよかったわけないのに。
これでよかったわけないのに。
死ぬなんて馬鹿なコなんだから!!!
って怒れたらどんなに楽だったろう・・・・
我が子の死を必死で受け止めようとしていて
でも尋常でない深い深い悲しみに囚われたままで
時が少しずつ癒してくれることを願うばかりだけれど
叔母はいつになったら救われるのだろう・・・・
我が子に先立たれて深い悲しみから抜け出せずにいる両親のこと、
どうにかできなかったのか、というやるせない気持ちの周囲の人たちのこと、
どうか知ってほしい・・・
怒ることもお腹の底から笑うこともできなくなるほど
残された人たちからエネルギーを奪ってしまうこと
どうか知ってほしい・・・
一人で生きてきたわけじゃないこと
どうか知ってほしい・・・
集団自殺やなんかのニュースが頻繁で
世の中一体どうなってしまったんだろう。
確かに生きにくい世の中だとは思うけれど。。
皆が
ふと立ち止まることのできる
思いやりいっぱいの世の中になりますように・・・
で、↑上記事に続く・・・